【つぶらな瞳ちゃん♪って誰?】おひとり様移住した女の生い立ち

つぶらな瞳ちゃん 私の生い立ち
記事内に広告が含まれています。

初めまして!

35歳でおひとり様沖縄移住した、つぶらな瞳ちゃん♪と申します(^o^)/

アメブロを見ていただいているフォロワーの皆さんはご存知かと思いますが、改めて私がどんな人間なのか説明させて頂きます。

アメブロでは沖縄移住した理由は少し書きましたが、私がどんな人生を歩んできたのか?今回は個人情報ダダ洩れで書いていこうと思います(笑)

スポンサーリンク

【つぶらな瞳ちゃん♪って誰?】おひとり様移住した女の生い立ち

生まれてから中学生まで

3人兄弟の末っ子として生まれ、今ではすっかり有名になったダ埼玉(笑)、改め埼玉県生まれです。        

小さい頃から親の愛情をたっぷり注がれ、箱入り娘として育ちました。

我が家は貧しくて、友達がお菓子を買っているのを指をくわえて見ているような幼少期を過ごしました(;’∀’)

小学校まではある程度勉強についていけてましたが、中学校に入ってからはクラスで下から数えた方が早い程成績が悪かったです(´-ω-`)

両親からは、「おまえは何をやってもダメだな、無理に決まってるだろ」そう言われて育ってきたので、基本ネガティブ。

そんな教育をされて生きてきた私は、健康だけが取り柄だったのに中学生で胃潰瘍発症。

友達にも恵まれず、高校は地域で1番レベルの低い学校へ進学。

自分でこの記事を書いていても、この人波乱万丈だなって思ってしまうような人生送ってますね(笑)

今では笑い話ですけどね( *´艸`)


高校生時代

我が家は貧しかったので、「高校へ進学はさせてやるけどお小遣いはあげないから自分で稼ぐように」と両親から言われました。

両親曰く、「義務教育は中学校までだから高校は行かなくたって良いのに行かせてあげるんだからしっかり勉強しなさい、それが嫌なら働きなさい」と。

間違ってはないけど、いつの時代?ってツッコみたくなるのは私だけですかね?(笑)

周りの友達は、高校生だけどみんな携帯電話持ってた時代だったんですけどね(;’∀’)

バイトと勉強に明け暮れた高校生活でした。


専門学校時代

ずっと憧れていた美容専門学校へ入学しました。

今まで楽しい生活を送った事がなかった私に転機が訪れたのです。

まさかの手先が器用という事実が発覚(´▽`*)

何も取り柄がないから生きてる意味あるのかな?と思いながら生きてきましたが、人間1つは取り柄があるみたいですね(笑)

実技の練習が楽しくて宿題も言われた通りに頑張りました。

と言ってもそこまで頑張ってやってないんですけどね(笑)

周りの友達は何回も練習して出来るようになってましたけど、私は宿題を言われた回数しかやらない人でした。

基本やる気なし子(*´з`)

それでも誰よりも綺麗に仕上がっていて、我ながら天才か?と思うほどでした♪

どうやら先生の実技を目で見てコピーするのが上手いみたいです。


スポンサーリンク

初めての就職

どうしても東京に出たかった私は、

美容師と言ったら東京でしょ?

という事で東京進出して、人生初の都民になりました!

最初はやる気満々だから、辛い事があっても乗り越えて楽しく仕事をしていました。

スタッフにも恵まれて、人生で1番濃厚な青春を味わっていました!

しかし休みは週1回で朝練して営業して夜練して、家に帰れるのは深夜0時を回る頃でした。

休憩時間は取れれば奇跡で、ほとんど取れない日ばかりの毎日。

しかも休憩時間は15分(;´Д`)

就職して10ヶ月で体重が8キロ落ちて、周りからスタイル良くなったね!と褒められ始めました(*’▽’)

専門学校時代は人生でMax体重54キロだったのでモテないですよね(笑)


人生初の鬱になる

頑張って真面目に働いていた私ですが、体力の限界が私の気力をも奪っていったのです。

詳しくは書かきませんが、その当時は鬱だったって気付かなかったんです。

5年後身近な人が仕事に来なくなって症状を聞いたら同じで、ネットで調べてみて初めて鬱の症状だったことに気付きました。

美容師としての道は途絶え、実家へ戻ることに。

それから1ケ月フリーターをしていたら体重が3キロ増加して、いつの間にか鬱の症状はなくなっていきました。


まとめ

生まれてから新社会人になるまでの生い立ちを紹介してきました。

読み返してみて、

私ってすごい人生歩んでるわ!

って思いました(笑)

皆さんはもっと学生時代とか楽しんでますよね(*^^*)

長文になってきたので、続きは下記で語らせて頂きます。

おしまい♥